「いいものは高い」「ただより高いものはない」?
「いいものは高い」−これは和洋東西、時代を問わず変わらぬ真理のように思える。また、「ただより高いものはない」という言葉もある。
最近、食品の産地偽装が盛んに報道されている。飛騨牛問題、鶏肉のブラジル産を国産と偽った問題など、まさに百花繚乱の趣?がある。隠蔽されていたことが内部告発によって、さらに今後も出てくることが容易に想像される。
安くていい物—消費者が望むことは明確で、これまた変わらぬ真理であるようだ。しかし、消費者は一方では供給者でもある。つまり、消費者が自分の職務に就いた際には、何らかの形で供給者の立場に立つ。
消費者の関係する商品で、安くていいものを提供しようとすればどうなるかを想像してもらいたい。生産コストを下げる、仕入れ値を下げる、流通コストを下げる、提供する家賃を下げるなどその方法はいろいろあろうが、その具体的な方法、手段を挙げるとどうなるであろうか?
塾でたとえると分かりやすい。どの業種もそうであるように人件費が最も大きい。これを下げる方法は2つ。1つは教室に大人数を入れて一斉授業をすれば、実質的に人件費は下がる。20人クラスを40人クラスにすれば、人件費は半分になったと同じことである。従来、大手と言われる塾にはこの方式を採用してきたところもある。
ところが、大人数クラス編成の弊害—できない生徒が「置いてきぼり」になるーが世間に言われるようになった。その弊害を是正する目的で出現したのが「個別指導」である。しかし、この形態を取ると人件費率は異常に高くなる。
これでは保護者の負担が大き過ぎることになる。そのため人件費を下げる方策を見出さなければならなかった。そこで用いたのが、「安く使える人」の採用である。大学生のアルバイトの採用とか、大学卒でない人の採用である。この割合を上げることによって人件費を相対的に下げるのである。
なぜなら学生アルバイトの人件費は、時間給に直せば社員半額以下になる。また、大卒と大卒でない場合もその待遇にはかなり差がつけられ、塾経営者にとっては実に重宝な存在であろう。塾の中には学生アルバイトが授業のほとんどを担当しているところもあるようだ。
実際、「塾教師募集」の広告に「高卒以上」という条件で、堂々と募集をかけている塾さえある。もちろん、高卒の人の中にも学力の高い人たちは存在する。しかし、問題の解けない教師がかなり存在するのも事実である。(正規の職員にもまともに問題が解けない人がいるようだが…)
それぞれの業種にはその役割がある。塾の本来の目的は言わずもがな勉強を教えることである。勉強は1つ1つがバラバラで、つながりがないものではない。
やや専門的になって申し訳ないが数学に例を取る。
小6の y=決まった数×x 中1では y=ax
中2ではy=ax+b 中3では y=ax2(2乗)
高1ではy=ax2(2乗)+bx+c 高2では 三角関数に発展する
これらの問題を解くには正負の計算に始まり、方程式も解けなければならない。つまり問題が解けないとき、その生徒が解けない原因がどこにあるのかを発見し、それにタイムリーに対処し得る力が塾教師には必要不可欠な条件である。
企業における問題点の指摘とその対処とまったく同じなのである。その力は一朝一夕に付くものではない。これまた企業においても、経験と実績が必要不可欠であるとまったく同じである。
ましてや中学入試の算数など、かなりの能力、経験を必要とする。これは余談だが、算数担当の教師に中学入試問題を質問すれば、その力はすぐに分かる。
「いいものは高い」「ただより高いものはない」−私は最初に書いた。ところが、いろいろ理由をつけては「無料」で指導する塾もある。百貨店で「いいものを無料で提供する」など聞いたことはない。高級ブランドでも「無料で提供」というのも聞いたことはない。
可能ならば低料金・短期間で何とか力を付けたいと願う気持ちは理解できる。しかし、勉強というのはお手軽に身に付くものではない。低学年のときには、一見上手く乗り切れたように思えても、学年が上がるに連れてその実態が明らかになる。
ましてや高校入試、大学入試ともなると誤魔化しは効かなくなる。気づいたときには手遅れという可能性がある。つまり、その願いとは逆に「ただより高いものはない」なりかねないのである。
「いいものは高い」「ただより高いものはない」−我々消費者は今一度噛みしめる必要があるように思えてならない。
2008年7月