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 君の作文は名文or迷文        バックナンバー

 最近、大学入試のための「作文」の指導を盛んにしている。「文は人なり」という言葉があるように、作文指導は一朝一夕にはできない。なぜなら、文にはその人となり、換言すれば、知識、学力、能力、問題意識、素質など、現状のその人のすべての力がモロに出るからである。

 また、何も考えていないのに、名文を書こうとしても決して可能ではない。まず、何を書きたいのかが明確にならなければならない。言いたいことがないのに書けるはずがない。ましてや読む方の心など打つべくもない。テーマを出されて書く文など、普段からいろいろ考えていなければ、合格点に達する文を時間内に書けるとは思えない。

 高校入試の作文指導、中学入試の作文にいたっては、何を書いているのか読んでもさっぱりわからない文に出くわすことがある。本人に「何が言いたいのか?」と尋ねると、書いた本人が「さぁ?」―これでは読むほうに理解できないはずである。

 本人は名文だと思っているが、読むほうから見ると「嘘つき!」という文もある。保護者説明会で良く使う例。50m走の小学生の感想文

○良くあるパターン
 運動会で必死に頑張って1位を取りました。うれしかったです。
 これは良く見るパターンである。事実を書いて「うれしかったです。」「悲しかった です。」で終わる。うれしい、悲しいは分かるが、それは本人だけが感じていて、読 む方には何も伝わってこない。「あ、そう。ふ~ん」と思うだけである。

○良さそうな文
 おばあちゃんがメガネをずり落としながら応援していたのに勇気づけられて、必死に 頑張りました。その結果は見事1位でした。
  一見良さそうな文だが、読む人が読めば「ウソつきだ!」とすぐに分かる。50m 走で必死に走っているときに、周りの人の細かな様子など観察する余裕などあるはず がない。

 作文は上手に書こうという意識を捨てることが重要である。逆説的ではあるが「下手ほどいい」と開き直るくらいがちょうどいい。野球で例えれば、ブルペンで130kmのスピードしか出せない投手が、マウンドで150kmのスピードが出せないのと同じである。

 上手に書こうという意識の強い人ほど、面白みに欠ける文になり、誰でも書きそうな文になる。なぜなら、本人の頭の中は紋切り型の表現で凝り固まっているから…。こういう文は、本人は歴史に残るくらいの名文?と思っていても、周りからすれば迷文、迷惑文?以外の何物でもない。

 結婚式の媒酌人のスピーチがまさにこれである。名前を変えれば誰にでも使えそうな文が、ダラダラ続く。「新郎は優秀な成績で…仕事では責任感が強く…、新婦は近頃珍しい…」に始まり、「…夫婦で大切なことは、ほうれんそう…」と続き、聞く方は「またか!」 「最後になりましたが…」と来たので、「やっと終わった!」と喜んでいると、「付け加えますと…」「蛇足ながら…」聞いている方は「早く終われ!」とウンザリする。

 文章もまったく同じである。何度も言うように、普段から何も考えていない者が、読む人を納得させる、あるいは心を動かせる文など到底無理である。もちろん、作文を書く原則はある。これを知るだけで文はずっと良くなる。しかし、ここではそれを述べない。(淳風塾のノウハウだから)

 ただし、根本的な解決は、言うまでもなく「文は人なり」

2009年10月


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