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 「酒鬼薔薇聖斗の手記」      バックナンバー

 「絶歌(ぜっか)」-18年前の「神戸連続児童殺傷事件」の「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)」が手記を発表した。彼は当時14歳。児童を次々と襲い、山下彩花さん(当時10歳)と土師淳君(当時11歳)を殺害した事件の犯人である。

 
世間を驚愕させたのは、単なる殺人ではなく、淳君の頭部を中学校の正門に置き、酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)」の名前を書いた警察への挑戦状を淳君の口にくわえさせた、猟奇殺人だったことだった。

 マスコミはこぞって犯人を特定すべく連日報道した。しかし、大人の犯行との思い込みもあったのだろう、少年Aは容易に逮捕できなかった。後に公開された挑戦状を見たとき、明らかに子どもの字であった。

 子どもたちに普段接している教師なら、子どもであることが分かると、直感的に思った記憶がある。字体もさることながらschoolのスペルも間違っていた。そのことを妙に鮮明に覚えている。

 さらに、文章から素質豊かな文才を感じた。「いずれ彼は本を発行するだろう。彼には文才がある」と妻に行ったら、「いい加減にして!」と怒られたのも覚えている。少年Aが逮捕され、マスコミは本人の特定を避ける報道に変わった。少年法に守られているので余儀なくされたのだろう。

 腰が引けた報道の中で、「週刊新潮」は彼の写真を公表して物議を醸した。(実は週刊新潮は当時毎週購読していた)しかし、評論家「立花隆」氏がそれを一蹴した。確か、「厳密に言うなら、都道府県も書いてはいけない。男子か女子も書いてはいけない。写真を掲載して少年法違反で逮捕されることを恐れるなら、真のジャーナリストとは言えない」、と主張していたように記憶している。また、彼は「この写真を見ながら事件を考えたい」とも…。

 それまでTVで「週刊新潮」の顔写真掲載を批判していた人たちが、一気に勢いを失った。「立花隆」氏の影響力の大きさを知ったのもそのときである。18年も昔のことなのに、私の記憶に強く残っているのは、それだけ猟奇的な殺人事件だったこと、少年の文才に驚いていたことからであろう。

 
被害者の家族が反対するのを重々承知していたのに関わらず、なぜ出版したのだろうか?出版社の意図は明確だろうが、彼自身の気持ちはどうであろうか?おそらく、今後はさまざまにマスコミが取り上げ、多種多様な理由を挙げるだろう。しかし、私は少年Aの「内なる書きたい衝動」が最も大きな理由ではないかと思えてならない。

 その内容が、今回は自分の犯した猟奇殺人-彼にとって最も人生を左右した-だったのではないかと想像してしまうのだ。(ちなみに10万部の売り上げで考えると、少年Aには約1500万円の印税が入るだろう。それをどのように使うのだろう。殺人事件の犯人が、その事件を書いて利益を得ることには何か違和感がある。ちなみにアメリカでは「サムの息子法」がある)

 
今後はマスコミだけでなく、ネットを通じて少年Aの現在の住まいを捜すリスクも高まるはずである。それも承知で書いたのだろうか。被害者の家族だけでなく、世間には彼を許せない感情が根強く残っている。自業自得ではあるが、現在彼の生活は苦しいに違いない。過去を隠して生き続けることは、生活して行く上で余りにも大きなハンディがあるから。

 ところで、
私が現在最も知りたいことは、彼の倒錯した性癖が本当に治っているかどうかである。週刊誌で知る限り、そのことには触れていないようだ。矯正されたからこそ「絶歌」を発表したのだろうか?

 「週刊現代」によれば、「自室の天井裏に隠していた淳君の頭部を持ちだし、通っていた中学校まで『スタンド・バイ・ミー』を口ずさみながら、自転車を走らせた。」とある。

 
「絶歌」-もう2度と楽しく歌う日はやって来ない。平凡な日常は帰って来ない。彼の苦悩が見え隠れするが、「週刊文春」の記事でも倒錯した性癖が治癒したとは思われない。それを危惧するのは私一人であろうか?また、彼を英雄視する一部の人たちがいる。最近起きたおぞましい事件の犯人も彼を英雄視しているとの報道もある。


2015年06月