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かけがいのない相棒

私には「かけがいのない相棒」がいる。シーズー犬のオスで、名前は「ポコ」。私は彼を「ポコタン」と呼び、家族は彼を「ポコちゃん」と呼んでいる。この相棒は究極のわがままで、怖がりでしかも自己中である。

 彼との出会いは3年半前にさかのぼる。ちょうど、前の相棒(シーズー犬のオスのしんちゃん)が亡くなって1週間も経っていなかった。前の相棒はとてもいい子で、家族みんなに愛されていた。その彼が「家族みんなに別れを告げて」亡くなった。

 近くに住んでいる息子夫婦が家に顔を出した後、帰ってから4,5分も経たないうちに亡くなったのである。しんちゃんはまるで息子夫婦にも別れを告げたように思えてならなかった。

 妻は彼の使っていた茶碗、彼の使っていた散歩用ひもを見ては思い出し、また、写真を見ては泣いてばかりいた。余りにも落ち込みようがひどかったので、私はワン君を買うためにペットショップに行った。

 私は基本的にペットを売買するのはあまり賛成ではない命あるものをお金で売買することに多少の違和感を感じてしまうのだ。しかし、「命の代わりは命しかない」と感じた私は、その考え方に係わらずペットショップに行ったのである。しかし、私のような思いの人間がいるために必要な存在かも知れないとも思う。

 このとき出会ったのが彼である。まるで私に「買って欲しい」と言わんばかりに、ガラス越しに私を見るや、両足で立ってガラスに寄りかかったのである。後で分かったことだが、彼のこの行為は奇跡に等しい。

 妻に電話をしたあと、私は彼を家において仕事に出た。ところが、帰宅するととんでもないことが起こっていた。何と「ポコタン」はマッサージ器の下にもぐったままだった。妻がどんなに呼んでもムダで、手を伸ばしてつかもうとすると「ウー」と噛み付きそうになるという。

 生まれて2ヶ月しかたっていない子犬は、普通誰でも喜んで遊んでもらいたがる。しかし、彼は極度の怖がりで、生後2ヶ月でも「人見知り」が激しかった。人見知りというより、誰でも怖がってしまうのである。

 私が手を差し伸べるとやっとマッサージ器の下から出てきた。私の声と匂いをかぎ分けたのであろう。その日から「相棒」の彼との生活が始まった。

 散歩していて他の犬を見ると極度に恐れる。犬だけでなく人も恐れるのである。抱っこをしているとき、近所の人が手を差し伸べると「ウー」とうなって怒るのである。

 今でもその状況に変わりはない。他の犬が近づくと私に抱っこしてくれとせがむように私を見上げる。そのために近所の人には「箱入り息子」だと笑われることもある。

 他人だけではない。妻が抱っこをすると今でも噛み付きそうにうなるのである。また、家族が帰宅しても尾っぽを振って喜ぶこともない。「ワンワン」ほえるが、喜んでいるのか怒っているのかさえ区別がつかない。

 出会いのとき「ガラス越し」に、まるで私を両手で招くような態度をしたことは、まさに奇跡としか言いようがない、と今となって思うのである。

 彼は私が家にいるときは常に私について歩く。台所でも居間でも便所お風呂でも付きまとう。寝るときも枕を一緒に使う。私が右を向くと右に、左に寝返りを打つと左に回るのである。

 どんなに疲れていても彼といると癒される。そんなとき人はペットを飼ってあげているようであるが、逆に彼らから「癒し」を受けているのではないかと思う。周りに「媚を売らない」彼の自由気ままな行為も、私を癒してくれる要素かも知れない。人間同士の相性があるように、動物との相性もあるのだろうか?

 動物はかわいい。その命が人の何分の1しかないことが、さらにそのかわいさを増しているのだろうか?

2008年3月


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