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驚くべきTV放映から

食の安全性が問題になって久しい。最近では中国から輸入した冷凍餃子、その前は赤福、ミートホープ社、また、週間ポストが報じた回転寿司のネタの問題などいとまがない。世間を騒がせた雪印も今は遠い昔の感さえある。

 一体、こういう問題が起こる原因は何であろうか?多くの識者が指摘しているように、企業のモラルの崩壊—利益至上主義—が根底に存在することは間違いない。また、同族経営者による弊害もあるだろう。しかし、それだけではなく社会の仕組み自体に、より根本的な原因があるように思われてならない。

 ほんの数十年以前は、町の至る所に野菜屋さん、肉屋さん、魚屋さんがあった。彼らは何十年にも渡ってその商売をしており(何代にも続いた店舗もある)、その道の目利きであった。同時に彼らはまた消費者でもあった。それが大型店の進出のあおりを受けてドンドン少なくなった。

 従来日本の流通業界は、一次卸、二次卸、三次卸…等、中間流通段階が幾層にも形成されており、それが物価高の一因とも考えられていた。事実そういう側面も否定できない。

 その前近代な制度を打ち破るべく登場したのが、大型スーパーである。彼らは流通革命を唱え、メーカーの持っていた主導権を奪ったのである。それまで商品の価格はメーカーが決めている単一価格であった。

 その象徴的な例が、大手電気メーカーと大手スーパーの熾烈な戦いであったと思う。今も語り草になっている松下幸之助氏と中内巧氏の伝説の戦争である。いろいろ見かたはあろうが、最終的に大きな販売力を誇る大手スーパーの勝利に終わった。テレビが各家庭に行渡ったのも、いわゆる“流通革命”の成果であり、現在のオープンプライス(小売店が自由に販売価格を決定できる)もその大きな成果と見ることができよう。

 その後も土地の高騰という追い風を受けて、日本各地に大型店が進出し、日本の流通の近代化を加速させた。その結果、消費者は大消費時代の恩恵を享受できたのである。それがまた、小売業に占める大手店(スーパー)の割合を高めたる結果を生んだのである。

 注:大型店は先に土地を取得する。その価格が高騰すれば担保価値が上昇するため、店舗を建築できる。

 時代的背景、国際化という背景から捉えても、その方向性には必然性が存在した。しかし、一方では食の安全性は片隅に追いやられた。食の安全は「至極当然なもの」と多くの国民は信じていた社会的な要因も背景にある。その結果、魚屋さん・肉屋さんなど、町の目利きー食の安全性を守っていた安全弁−が崩壊したのである。

 言うまでもないことだが消費者は安さを求める。生活を守るということを考えれば、それは当然の消費行動でもある。その消費行動がマクロの観点から言えば、安全弁を崩壊させたのではないか?

 「安いのには訳がある」とミートホープ社の社長の言。アンタが言うな!とは感じるが、くしくも彼の言はある面での真実ではないであろうか?価格に対して消費者が厳しくなればなるほど、売る側はそのニーズに応えようとする。

 それに応えられない企業は社会からの退場(倒産)が待っている。しかし、安さを求めれば求めるほど、価格以外の要因は軽視されがちになる。これもまた当然の帰結であろう。

 余談だが、つい最近でも驚くべきテレビ放映があった。何と南米から「ウミヘビ」を「穴子」の変わりに輸入しているという。日本に輸入された「ウミヘビ」は穴子として、どこかで販売されているはずである。

 しかし、昔に帰れ!などと主張するのは「空想的理想主義」である。環境を守るためにコストがかかるように、食の安全性にはコストがかかることを、我々消費者は甘受しなければならない時期に来ている。

 食の安全性が問われる今だからこそ、我々消費者は「安さ第一主義」から「安全なものを適切な価格で」という意識変革が必要な岐路に立っていると思われてならない。こう考えるのは私一人であろうか?

2008年4月


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