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 教育が日本の生命線        バックナンバー

 新聞報道によると、センター試験が2種類になるという。「易しい問題」「難しい問題」の2種類になるだろうと想像できる。しかし、センター試験を2種類に分けても問題の解決には決してならない。各大学のレベルの明確化がされるだけである。

 現在の子どもたちの学力は恐るべき状況になっていて、顕著な2極化の様相を呈している。 いわゆる「2こぶ化」である。一部の「できる生徒」と多くの「できない生徒」と2つの「こぶ」 になっている。
 
  ゆとり教育は極端な学力不足の子どもたちを生んだ。ゆとり教育だけではない。入試科目の減少は偏った子どもたちを作ったように思う。 有名私立大学においても、分数計算すらできない学生が、文系では想像を絶するほど多いようだ。そのため、大学で公文式を取り入れるところもあるとの報道もあった。
 
 こういう学生は企業に採用され難いだろう。万一、採用されても、管理職になるのはかなり厳しいのではないか? なぜなら分数計算というだけの問題ではないからである。つまり、分数計算は単なる象徴に過ぎず、計数的に物事を捉えられないからである。厳しい表現をすれば、答えのある算数レベルの問題が解けない者にとって、答えのない企業の分析は難しいからである。

  何度も私がこのコラムで指摘しているように、日本は資源が乏しい。資源が豊富であれば、その資源を売って国民全体が食べていける。資源の乏しいわが国がグローバル化の中で生き残るには、原材料を輸入して製品を売る「高度な加工貿易」と「知的情報を売る」しか活路はない。

  いずれにしても、それらに必要不可欠な条件は「人的財産」である。教育をないがしろにすれば、やがて日本の国際的な地位は下がるのは明白である。事実、日本の国際的な地位はますます下がりつつある。

  国の問題だけではない。家庭における保護者のしつけもますますひどくなりつつある。特に男の子がひ弱になっているような気がしてならない。 少子化で子どもに言うべきことを言えない保護者がいる。一方では、近視眼的に子どもの成績結果にのみ興味があり、結果だけを見ては子どもを怒りつける保護者もいる。結果には原因がある。根本的な原因にメスを入れないで、目先、目先を追っていては、いずれ子どもは保護者の期待とは裏腹の結果に落ち込むだろう。

  子どもたちにその責任はない。子どもたちを取り巻く環境、つまり家庭環境と国のシステムの問題である。

  前述のように、センター試験を2種類に分けても何の問題解決にはならず、単なる現状追認に過ぎない。現在、ゆとり教育の反省から、教育内容を元に戻す「移行期間」であるが、一度落ちた学力は簡単に元に戻るものではない。スポーツでは、一度落ちた筋肉を取り戻すには、かなりの時間と努力が必要である。それとまったく同じである。

 実際問題として今まで平易な内容で、進度の遅さに慣れていた生徒たちの中には、新指導要綱移行の期間中の現在ですら、戸惑っている者もいる。いずれは授業数の見直しも必要になってくるのではないか?若干の指導時間が増えただけでは、対応が難しいのではないかと思われる。

 日本はどんな国を目指しているのだろうか?国としてもマスタープランの必要性今日ほど必要な時代はない。そのマスタープランを達成するために教育はどうあるべきか、家庭教育はどうあるべきかを、国民一人一人が考える転機に立っていると思われてならない。

2010年11月