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  つまようじ19歳!        バックナンバー

 自作自演の「つまようじ19歳事件」。何とも奇妙な事件が起きたものだ。YouTubeでのアクセス数を稼ぐためにやったという。そのアクセス数が1位になったのを誇っており、彼は逮捕後、「有名になれてうれしかった。英雄に近づけた」と臆面もなく供述したという。

 「万引きで日本一」を目指しているとうそぶき、それを昨年暮れ以降20回以上動画に投稿していた。自分が持ち込んだ商品で万引きを演出していたのだから、「万引き日本一」が目的ではないのは明らかだ。

 週刊文春によれば、「動画で彼が語る小学校時代から万引きや放火、他人の靴に画びょうをいれるなどの悪事を打ち明けているが、悪ぶった自意識とは裏腹に、かつての級友たちが語る彼の記憶は一様に乏しかった」

 さらに、彼の経歴にも触れている。「中3の2月、彼は1度目の無差別殺人予告で逮捕される。ネットには秋葉原無差別殺傷事件を意識した書き込みも残していたが、その気のない愉快犯だった。」

 逮捕後、「刑事罰の年齢を下げる」のが目的だとも供述しているという。どこに彼の本意があるかは分からない。しかし、
今までの彼の経歴を見ると、世間の注目を集めることが、その最も大きな理由のようだ。

 それは
ネットにブログ、YouTube動画を投稿している人たちの、どこか片隅に存在する傾向ではないだろうか?最近の事件で言えば、コンビニで土下座をさせた事件、ボーリング場で土下座させた事件も、投稿した本人にすれば「英雄になったような錯覚」があるのではないか?

 逆にそれが犯罪立証の動かぬ証拠品となるなど、まったくの想定外であったろう。自ら犯罪の証拠を世間に広く示すなど、犯罪の意識も当然低かったのだろう。

 ところで、ネットでブログが盛んである。日記は本来他人に見せるものではない。自己反省、思い出のためにあるという考え方は古いのだろうか?

 
今では毎日の出来事をフィルターを通して書き、それを多くの人に見てもらうことを目的としている。見てくれる人の多さ=アクセス数がその人の評価につながる意識が強いのだろう。

 私はフィルターと述べた。例えば、夫婦喧嘩で家を飛び出した場合でも、「毎日頑張っている自分へのご褒美に一人でホテルに宿泊し、豪華な食事を楽しんだ」と書けば、幸せの演出が可能である。
 
 ネットでは虚々実々のブログ(情報)が発信される。
それらは表現の形態に関わらず、個人情報を自ら発信していることになる。その一方では、日本社会は個人情報の意識が強い。この二律背反をどのように理解し、納得しているのだろうか?

 実際、何かの事件が起きた時には、ブログの本人は特定できる。警察が調べなくても、発信している人の周辺の誰かがそれを暴き、ネットに上げる。

 
ネットはある面でリアルな世界であり、ある面ではバーチャルな世界である。また、ネットは一面では便利なツールであり、他面では危うさを伴うツールである。警察をオチョクって「無能な警察」などとうそぶいて、英雄気取りになっても、所詮彼はバーチャルの世界に浸っていただけに過ぎない。

今回の事件は、ネット社会の「危うさ」を感じさせる事件であった。

2015年01月